公式ぼんじり'sメモ

世田谷で飼われてる鳥のケツが描く日々

タマゴの殻をやぶれチキン

三日坊主と言いますけれどしっかりその壁を破りましたよ、なんだかブログを書くのが楽しくなってきたからね、しっかり書かないといけないような気もするんだ。

 

昨晩は少し頑張ったんです、今の今までは他人へ羨望の眼差ししか向けてなかったからね。人生、自分が主役だと思う瞬間は誰にだってあっていいはずだよな。これに託けてクサいこと言おうとしたけど結果が出てからイキりますよ、それまでは今まで通りに陰キャ陰キャ

 

そうそう、最近ブログを始めて凄く充実してるような気がするんですよ。

何故かってそれは僕がずっとクリエイターに憧れていたから。

SNSで関わる人の多くは絵を描いたりだとか、歌を作ったりだとか、楽器を弾いたりだとか、って当人たちは趣味の一環とか仕事の一部だったりで思うことは沢山あると思う。けれど側から見たら、僕から見るとそれってとても羨ましいことなんだよな。端的に羨ましいの一言で纏めたのは「クリエイティブ」「生産性のある」なんて分かったような言葉で言いたくなかったから、そういったクリエイターに対する論評ってのは対等なクリエイター同士ではないと失礼に値するような気がするから。

僕個人も歌を歌ったり何か作ること、それに特別絵を描くことは好きだけれど人並みの域を出ない。それに十五の頃には美術は株や財産のようなものだと気付いてしまったのもある。

例えば、価値のある絵画ってのは、画家として有名な人間が描いたことや莫大な費用を投じて得た、というバックヤードの部分が余りにも大きすぎる。偏に技術だけでつけられた値段だとは考えられないものが展示されていることもある。

もちろんここで有名な画家の絵と、価値のある絵画の関係についてはチキンアンドエッグな話なので少し省略させてもらう。あと歴史の話とかね、おじさんそこは詳しくないんだ。

結論から言えば、美術は富裕層以外の人の手から離れているんだよ、持っていることがステータスな人間同士でやり取りしあうのが今の美術の頂点。

僕は当時そんな状況を知って辟易としてしまったからね、心が折れてしまった。

だから、だからこそ今のクリエイター達には敬意を払ってる。一桁のふぁぼしかつかないような絵師だろうが仲間内でしか見てないであろう小説を描く人間達のことを本当に尊敬している。毎日少しでも何か絵を描いたり文を書いたりだとかって並の人間には到底出来ることではない。

ちょっと長くなったけれどそんなこんなでTwitterで落書きあげたりしてる人達には内緒だけれど尊敬してるよ、直接言うのはこっ恥ずかしいからね。

そんな彼らと一緒にこういったブログっていう物をクリエイトしている自分は、幼い頃に諦めた自分の夢を少し叶えられたような気がして、充実してるんだわ。

 

直接言うってなんか昨晩を思い出してしまうなぁ…なんだかなぁ、未だにどきどきしてるわ。

カタカナじゃなくてひらがなの方のどきどき。

もう少し色々言うことあったし、もっとロマンチックに言えたらなんて後悔はいくらでもあるけれど、言いたいことだけはしっかり言えたから僕は偉いぞ、あとはお返事を待たなきゃね。

 

ニワトリが先か、卵が先かは英語でもChicken and Eggって言うそうな、ちょっと面白くない?

好きになってから付き合うのか、はたまた、今日はこれくらいで午後の実験も頑張ります。